語彙力
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は語彙力と小論文の関係を考えます。
語彙はボキャブラリーと称しますね。
簡単にいえば、あなたが知っている言葉の数です。
かつて英語の受験勉強をしている時によく言われたことがあります。
いったいどれくらいの英単語を知っていれば、大学受験に通用するのかということです。
ソーンダイクという言語学者の説によれば、5445語だということです。
中学生レベルの2000語、さらに高校での2000語。
入試に対応した1445語です。
最後の1500語はほとんどが抽象語です。
目には見えません。
どんな単語があるのか。
自分で調べてみてください。
例えばよく使う表現に「多様性」というのがありますね。
SDGsの時代にとって重要な言葉です。
英語では「divercity」といいます。
この表現は英語でなんていいますかというクイズをよく見かけます。
ああいう頭の体操的な話のレベルではありません。
名詞、形容詞としてそれ自体が非常に重要な言葉なのです。
「authenticity」という単語を目にしたことがありますか。
これは「正統性」「確実性」「真正」などと訳しています。
形容詞は「authentic」です。
はっきりいえば、入試の小論文はこの英単語のレベルが必要です。
きちんと自分のものにしていなければ、文章は書けません。
マンガ脳・ラノベ脳
マンガ脳、ラノベ脳では無理と書きました。
なぜだと思いますか。
基本は想像力が働かないからです。
つまりマンガもラノベも知らない世界ではないのです。
自分の周囲に取材した内容を、ほぼ会話で繋げています。
想像したこともない明治、大正、昭和初期のことを考えてみてください。
そこには自分の知らない風俗や、歴史がたくさん出てきます。
確かにその時代を扱ったマンガやラノベが全くないというワケではありません。
しかし出版しても売れないのです。
だから店頭には滅多に並びません。
あなたが目にしている世界は、全て知っている範囲の話なのです。
たとえ魔界が出てこようとも、想像力の世界を必要とはしません。
複雑な思考に耐えなくても、誰でもわかるように書いてあるのです。
その中心になるのが会話です。
ラノベもほぼ全てが会話だと言ってもいいでしょう。
評論文を考えてみてください。
哲学的な文章を読むと、自分の知らない世界が実に細かく分析されていることに驚きます。
さきほど挙げた「多様性」という言葉を1つとってもそうです。
文化の多様性といった時、あなたは何を思い浮かべますか。
東洋と西洋の対比の中にどのような文化の差を感じますか。
その訓練を日々するための手段が語彙なのです。
知らないことは書けない
あたりまえのことを1つ言いましょう。
知らないことは書けません。
これは厳然たる事実です。
たとえ、課題文があったとしても、考えたことのないことをまとめることはできないのです。
ましてや、そこに自分の考えを付け足すなどということは不可能です。
知らない単語を使えと言われても、無理です。
全てできないことを積み重ねていった時に、できあがったものはどのような形になるでしょうか。
バベルの塔そのものです。
土台が腐ってしまっている。
1番大切な基礎固めがありません。
そこにいくら積み上げても、砂上の楼閣に過ぎないのです。
どうしても志望する大学に入りたいのであれば、言葉の数を徹底的に増やす訓練をしなければなりません。
よく現代語重要語句100などといった薄い参考書がありますね。
あれを覚えなさいと言われたら、無理だと思っても不思議ではありません。
そのまま暗記してみても、結局なんにもなりません。
きちんと自分の腹に入っていないからです。
その言葉を使う時の前後の脈絡がなければ、言葉は単体では役に立ちません。
ということは、文章の中でどのように使うのかを、徹底的に訓練していくしかないのです。
短い流行語でツイートをしていればいい時代はもう終わりました。
ある程度、論旨のまとまとった自分の考えを築き上げる時です。
勉強のチャンス
今をはずしたら、多分勉強できる時はもうこないでしょうね。
その人が使う語彙を聞けば、ある程度の教養が見えてしまいます。
言葉は怖ろしいものです。
その教養が、小論文を支えているのです。
国語の試験を全く課さない大学もあるという事実をどう思いますか。
そのかわりに小論文の試験をするのです。
つまりそこで綴られる文章に、国語力があらわれてしまうからです。
わざわざ評論文を読ませたり、小説の問題を作ったりはしません。
全ては小論文ですませてしまうのです。
そのかわり、問題は格段に難しいです。
おそらく考えたこともないようなテーマが出ます。
その時に真価が問われるのです。
どの程度、課題文の内容に食いついていけるか。
おそらくそこだけが評価の眼目でしょうね。
結論をこれにしたら、それで合格ということではありません。
暴論をいえば、結論はなんでもいいのです。
そこへ導くための道筋に一貫した論理性があれば、それで十分なのです。
そうした実力を見極められる問題がでます。
志望校の過去問をやってみてください。
驚くほどの難問ばかりです。
世界の流れを知らずに、どうやって小論文に挑むのか。
武器を全く持たずに無手勝流で飛び出していくようなものです。
その時にもっとも有効なアイテムはなにか。
それこそが語彙なのです。
言葉の数です。
繰り返しましょう。
知らなければ書けません。
しかし知っていても書く必要がない時は、静かに控えていることができます。
1年間を無駄にしてはいけません。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。