故事
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はためになる故事をひとつご紹介します。
これは『郁離子』という名の書物の中に出てきます。
作者は劉基(1311~1375)です。
元宋の人で科挙に合格し進士として、明の太祖に仕えました。
この話のなかには天下を治めるための要点がこめられています。
ストーリーはそれほど複雑ではありません。
ある漁師が、河の中で舟を失っていた商人を助けてあげました。
しかし商人は助かってみると、約束していた百金のお礼が惜しくなり、結局、十金しか払いませんでした。
約束通りの礼を払わなかったのです。

無駄なお金は使いたくないという商人の気持ちもわからなくはありませんが、しかし約束は守らなくてはならないものです。
別の日、その商人の舟がまたも転覆してしまいました。
その時漁師はどういう行動をしたと思いますか。
困った人を助けてあげたいと思うのは人間のごく自然な感情ですが、また騙されて、礼金ももらえないだろうと考えても不思議はありません。
前回の時にはひどい目にあいましたからね。
結論は誰にでも想像がつきます。
まさに予想通りの結果になりました。
誰にも助けてもらえずに、商人は亡くなってしまったのです。
ここでは商人と漁師、両者の気持ちを推測しながら、この故事の由来を考えてみることにしましょう。
書き下し文
済陰(さいいん)の賈人(こじん)、河を渡りてその舟を亡(うしな)ひ、浮苴(ふしょ)の上に棲(す)みて号(さけ)ぶ。
人これを救はんとす。
その人曰はく、「汝、何をか号ぶや。」
対へて曰はく、「吾、済陰の大賈なり。
能く我を救ふ者には、百金を与へん。」
人すなはちこれを救ふ。
既に岸に登るや、その人、十金を与ふ。
救へる者曰はく、「向(さき)に子は百金を与へんと言へり。
今乃(すなは)ち十金を与ふるのみとは、何ぞや。」

賈人曰はく、「若(なんぢ)は済陰の大賈を知らざるか。
吾は是れ大賈なり。
何ぞ百金を以て人に与へんや。」
救へる者、これを恥ぢて去る。
後にまた河を渡るに及びて、その舟また亡ぶ。
人これを見て、救はず。
現代語訳
済陰の商人が、川を渡っていて舟を失い、浮き草の上につかまって助けを求めて叫んでいました。
そこである人が彼を助けようとしたのです。
その人が言いました。
「あなたは、なぜ叫んでいるのですか。」
商人は答えました。
「私は済陰の大商人です。私を助けてくれる者には、百金を与えます。」
そこでその人はすぐに彼を助けました。
やがて岸に上がると、その商人は十金だけを与えたのです。
助けた人が言いました。

「さっきあなたは百金を与えると言いました。それなのに今は十金だけとは、どういうことですか。」
商人は言いました。
「あなたは済陰の商人を知らないのですか。私は死に物狂いで商いをしているのです。どうして大金を人に与えたりするものですか。」
助けた漁師はそれを聞いて立ち去りました。
その後、またその商人が川を渡ったとき、舟が再び沈んだのです。
しかし人々はそれを見ても、誰も助けようとはしませんでした。
話のポイント
この話の教訓はわかりやすいですね。
利益のために約束を破る人は、結局最後に自分が困ることになるという鉄則です。
信用を失えば、次に誰も助けてくれないのはあたりまえの話です。
誰にでも結論がすぐ予想できます。
この考え方は、日本の古典、『徒然草』にも共通して見られます。
兼好法師は、人間は利益があるときだけ親しくし、利益がなくなるとすぐ離れるというような態度をとりがちだと述べています。
利欲に支配された人間の姿はまさにこのようなものかもしれません。

兼好は人間関係において、なによりも誠実さや信義が大切であると繰り返し語りました。
人の品格は言葉や行いにあらわれるというのです。
約束や言葉を軽んじる人は信用されないということです。
「済陰の賈人」は、まさに恰好のケースそのものです。
信用は一度失うと取り戻せません。
商売をしている人にとっては命よりも大切なのが信用です。
一朝一夕にして得られるものではないからです。
「済陰の賈人」と『徒然草』に共通する教訓は次の3点が考えられます。
人間にとって最も大切な教えです。
①誠実であること。
②欲にとらわれないこと。
③人としての品格を守ること。
これ以上に大切な生き方はないのかもしれません。
約束を守る
この商人は金を惜しみ、約束を守らず、自分の利益だけを考えました。
これは『徒然草』が戒めている最悪の人間像そのものです。
欲深い人間の末路はこのようなものではないでしょうか。
すなわち、徳のない人は他者に見放されるという例です。
『徒然草』には、人の本性を批判する段が多いですね。
人間はどうしても利欲のために約束を破りがちです。
ところが信用は人間社会の根本なのです。
人間の愚かさをよく知ることが、なによりも大切なことは言うまでもありません。

この寓話は日本の古典文学の倫理観とも深く通じあっています。
たとえば「後で考えます」「また連絡します」などと言って、その場だけうまく逃げようとすることが人にはよくあります。
しかし実際にはその約束を守らないことの方が多いのです。
兼好法師はこうした態度を、誠実でない人間の姿として厳しく批判しています。
つまりその場を切り抜けるために返事をする人間そのものの、不遜な態度です。
結果として「信用の喪失」を招くという意味では共通しています。
誰もがそうした経験を持っているのではないでしょうか。
今回の寓話はごく単純なものですが、この内容を敷衍していけば、どこまでも深化させることができます。
それだけ普遍的な話題なのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
