美貌と歌の才能
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は受領階級の女性が味わった複雑な結婚生活を描写した文章を扱います。
『蜻蛉日記』がそれです。
受領(ずりょう)というのは四位、五位どまりの下級貴族をさします。
上中下の全三巻からなる日記です。
作者は藤原道綱の母。
成立は平安時代中期(974~995)と言われています。
美貌と歌の才能に恵まれた下級貴族の女性が、藤原氏本流の夫との結婚生活で味わうとまどいや苦悩の21年間を書き続けました。
『源氏物語』『和泉式部日記』など後代の文学に大きな影響を与えたことでも有名です。
夫の兼家が大納言という要職に就任したことを、息子の道綱を含めて周囲は大変喜びます。
しかし作者は今まで以上にかまってもらえなくなると考え、少しもうれしくありません。
夫から昇進の感想をなぜ言ってくれないのかと、逆恨みの手紙までくる始末です。
普通なら、ともに祝ってくれると信じていたのに、そんなこともないのです。
このあたりの描写を読んでいると、実に自意識の高い複雑な内面をもった人であることがよくわかります。
彼女はどうして兼家が屋敷に顔をだしてくれないのかと訝しみます。
さまざまな用事があって、時間も自由にならないということはわかっているものの、やはり許せないのです。
ある日、彼女が寝ていると突然夫が訪ねてきました。
本当ならば、すぐに門を開けるところですが、素直にそうはしません。
気難しい女性なのです。
しばらくのやり取りの後、やっと家に導き入れました。
ここでの会話のやりとりが、この段のポイントになります。

掛詞の応酬はいかにも、歌詠みの才能を示しています。
道綱の母は本朝三美人の1人とされ、和歌にもすぐれた教養人でした。
しかしそのためか極めてプライドが高く、夫の愛の薄さをつねに嘆いています。
ここに引用した文章でも、誰もが喜ぶ夫の大納言への昇進を、訪れが少なくなるからうれしくないと感じている様子がよくわかります。
多忙の中、わざわざ夫が訪ねてきた夜も、来るはずがないと油断しきっていて、侍女たちともども寝入ってしまい、果ては皮肉を言ったりします。
いささか自分勝手な性格が見え隠れしていますね。
当時の女性の地位を考えるうえで、名前が息子の名前しか残っていないというのにも驚かされます。
日記だけに表現が生々しく、当時の女性がどのような暮らしをしていたのかが、手にとるようによくわかります。
本文
司召し、二十五日に大納言になどののしれど、わがためは、ましてところせきにこそあらめと思へば、御よろこびなど言ひおこする人もかへりて弄ずる心地して、ゆめうれしからず。
太夫ばかりぞ、えも言はず、下には思ふべかめる。
またの日ばかり、「などか、いかにと言ふまじき。よろこびのかひなくなむ」などあり。
また、つごもりの日ばかりに「何事かある。騒がしうてなむ。などか音をだに。つらし」など、はては言はむことのなさにやらむ、さかさまごとぞある。
今日も、みづからは思ひかけられぬなめリと思へば、返りごとに、「御前申しこそ、御いとまの暇なかべかめれど、あいなけれ」とばかりものしつ。

かかれど、今はものともおぼえずなりにたれば、なかなかいと心やすくて、夜もうらなううち臥して、寝入りたるほどに、門たたくにおどろかれて、あやしと思ふほどに、
ふと開けてければ、心騒がしく思ふほどに、妻戸口に立ちて、「とく開け、はや」などあなり。
前なりつる人々も、みなうちとけたれば、逃げ隠れぬ。
見苦しさに、ゐざりよりて、「やすらひにだになくなりにたれば、いとかたしや」とて開くれば、「さしてのみ参り来ればにやあらむ」とあり。
さて、焼方に松吹く風の音いと荒く聞こゆ。
ここら一人明かす夜、かかる音のせぬはものの助けにこそありけれ、とまでぞ聞こゆる。
「注」 御前申し=帝の御前で奏上すること。大納言の職務をいう。
現代語訳
司召があった二十五日に、夫が大納言になったなどと周囲の者たちは大騒ぎしているが、私にとっては、今まで以上に窮屈な身分になり、
今以上に来られなくなるだろうと思うので、お祝いなどを言って寄こす人に対しても、かえって馬鹿にされているような気がして、ちっとも嬉しくはありません。
大夫(息子の道綱)だけは、なんとも言えず、心の底では喜んでいるようです。
次の日あたりにきた、夫からの手紙に、「どうして、『どんなにかすばらしいこと』と言うまいと思っているのかな、あなたがお祝いを言ってくれないから、昇進しても喜ぶかいもない」などと書いてありました。
また、三十日ごろに、夫から手紙が来て、「何か不都合なことでもあるのかな。私は忙しいのだ。なぜ手紙をくれないのか。冷たい人だな」などと、
ついには、言うことがなくなったからでしょうか、逆に私のほうが言いたいうらみごとまで言ってくるのです。
今日も、夫が自分で来ることは思い寄らないことであろうと思ったので、返事に、「帝の御前で政務の奏聞をすることで、お忙しくてお暇もないことでしょうが、私はおもしろくありません」とだけ書いてやりました。
こんなふうなので、今では、夫の冷淡さにも慣れて、なんとも思わなくなってしまっています。

むしろかえってずいぶん気楽になり、夜も、心おきなく横になって、寝入っていた時の話です。
門を叩く音で目がさめて、変だと思ううちに、召使がすぐに門を開けたので、あわてているうちに、夫が妻戸口に立って、「はやく、開けろ、さあ」などと言っているようです。
私のそばにいた女房たちも、みんなくつろいでいたので、そんな姿を見られまいと逃げ隠れてしまいました。
戸を開ける人もいません。
仕方なく私が自分でいざり寄って、「ひと休みしにさえ、あなたがお寄りにならなくなったので、錠がずいぶん堅くなってしまったことです
(錠が「堅し」と、開けるのが「難し」の掛詞)」と言って開けると、
夫は「あなたを目指してひたすら来たからだろうよ
(目指す、の「さす」と、錠を「さす」の掛詞詞)」と言います。
明け方なので松に吹く風の音が、たいそう荒く聞こえてきます。
長い間、夫が来なくて、一人で明かした夜には、このような音がしなかったのは、なにかの神仏のお助けだったのだ、と思えるほど荒い音に聞こえました。
この段のポイント
この段の要素は2つの掛詞(かけことば)です。
同音異義語といえば、容易に理解できるでしょうか。
第1は錠が堅いというのと、開けるのが難しいの掛詞になっています。
どちらも「かたし」と発音します。
あなたがあまりに長く来ないから、錠が錆ついて堅くなってしまったという意味と、開けるのが難し(開けるのが難しい、困難だ)という意味です。
第2は目指すの「さす」と、錠を「さす」の掛詞です。
日本語の特徴は同音で意味の異なる言葉がたくさんあることです。
それをうまく使うことで、和歌は成り立っています。
よく使われる例を2つほどあげましょう。
「あき」がそれです。
「秋」と「飽き」の掛詞です。
例えば、萩の葉の色変わりを「秋が来た」と表現すると同時に、相手への愛情が「飽きが来た」ことを暗示する歌などによく利用されます。
「ながめ」も実によく使われますね。
「長雨」と「眺め」の掛詞です。
例えば、雨の様子を「長雨」と表現しつつ、恋の相手への想いを「眺める」ことを暗示する歌に利用されます。

最も有名なのが小野小町の百人一首9番です。
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
「ながめ」は、掛詞として「眺め(物思い)」と「長雨」を意味しています。
この歌では、桜の花が色あせる様子を、自身の容姿の衰えに重ねて、長雨で物思いにふけっている間に、むなしく時が過ぎ、若さを失ってしまったと嘆いているのです。
立ち別れ いなばの山の 嶺におふる まつとし聞かば 今かへりこむ(中納言行平)
ここにある「松」は「待つ」と掛詞になっています。
歌才のあった女性にとって、自尊心が高い分、つらいことも多くあったのでしょう。
その様子が彼女の詠んだ歌の中に色濃く滲んでいます。
歌の意味と心の中を想像してみると、違った風景がみえてきます。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。