「陰翳礼讃・谷崎潤一郎」微かに光の残る幽暗の中にこそ日本文化の神髄が

ノート

耽美派の作家

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を取り扱います。

日本文化論の代表的な文章です。

多くの作家の中でこの人ほど、扱いの難しい人はいないのではないでしょうか。

谷崎潤一郎は明治末期から昭和中期まで、数多くの名作を発表しました。

戦中から戦後に至るまで執筆活動を続け、芸術性の高い作品を書き続けたのです。

しかし彼の作品は、学校の文化とは相いれない要素をたくさん持っていました。

授業ではほとんど扱われることがなかったのです。

事実、教科書にはほとんど所収されていません。

日本文化論として、この『陰翳礼讃』が最もよく学ばれる程度です。

小説にいたっては、授業で取り上げた記憶が全くないです。

しかし谷崎が好きだという生徒は確実に存在しました。

文学を読み込んでいる国語好きの生徒は、『細雪』のファンが多かったです。

そこに登場する蒔岡家の4人の姉妹のうち、誰が一番好きかなどということを、よく語ってくれました。

古文も得意な生徒ばかりでした。

彼の翻訳した『源氏物語』なども読んでいたようです。

谷崎の小説は今でも読者を獲得しているのでしょうか。

耽美派と呼ばれ、美にのめりこんでいくその姿勢には、日常の世界とは全く違う方向性を感じます。

『春琴抄』『痴人の愛』などにはマゾヒスティックな人間の喜びが濃厚に表現されています。

『少将滋幹の母』『蘆刈』に宿る死生観は特異です。

『吉野葛』の穏やかな境地なども格別ですね。

『陰影礼讃』本文

私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつつこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。

茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。

日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。

そうしてそれは、闇にまたたく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。

玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。

クリームなどはあれに比べると何と云う浅はかさ、単純さであろう。

だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。

人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。

けだし料理の色あいは何処の国でも食器の色や壁の色と調和するように工夫されているのであろうが、日本料理は明るい所で白ッちゃけた器で食べては慥かに食慾が半減する。

たとえばわれわれが毎朝たべる赤味噌の汁なども、あの色を考えると、昔の薄暗い家の中で発達したものであることが分る。

私は或る茶会に呼ばれて味噌汁を出されたことがあったが、いつもは何でもなくたべていたあのどろどろの赤土色をした汁が、覚束ない蝋燭のあかりの下で、黒うるしの椀に澱んでいるのを見ると、実に深みのある、うまそうな色をしているのであった。

その外醤油などにしても、上方では刺身や漬物やおひたしには濃い口の「たまり」を使うが、あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。

また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろろ汁や、白身の刺身や、ああ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。第一飯にしてからが、ぴかぴか光る黒塗りの飯櫃めしびつに入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食慾をも刺戟する。

あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から煖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上って、一と粒一と粒真珠のようにかがやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。

かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇と云うものと切っても切れない関係にあることを知るのであることを知るのである。

日本の伝統美

この文章を読むと、誰もが納得させられてしまいますね。

日本の伝統美が陰翳の美しさから成り立っていることを、これほどみごとに論じた文章は他にはありません。

『陰翳礼賛』ではそれまで語られなかった日本の美意識がていねいに分析されているのです。

古来から、日本人は陰翳の美しさを愛してきました。

王朝の美が貴族の屋敷の構造から醸し出されてきたのは明らかです。

照明の手段が非常に限られていたこともあります。

逆にいえば、それを利用することで芸術を作り上げてきたのです。

日があたれば、当然のことながら影ができます。

几帳で外の光をさえぎり、風を背後に感じつつ、日常を他者の目から遮りました。

そこに想像力を発揮させるのはごく自然なことでした。

ことに食文化には陰影を上手に取り込みました。

その魅力を引き立たせることに成功したのです。

幽暗の光のなかで見た、食材の色味は大変見事なものでした。

谷崎が指摘しているように、漆器の色と食物との対比なども素晴らしいです。

陰影の美しさは、建築、照明、紙、食器、食べ物にいたるまでいきわたっています。

能や歌舞伎の衣装の色彩など、多岐にわたって、その影響を見ることもできます。

代表作「細雪」

この評論が発表されたのは昭和8年です。

しかしもうそのころには、日本にも近代の文明が行き渡りつつありました。

電気の普及により、家の中から急速に陰翳が消えていったのです。

谷崎が指摘したような旧式の日本家屋は消えつつありました。

少し考えてみれば、そのことはよくわかります。

どうしても古い鄙びた家を建てたかったら、電気やガス、水道、電話などを好みのインテリアと調和させるために、大変苦心しなければなりませんでした。

伝統的な家を建てようとすれば、莫大な建築費がかかるようになっていたのです。

それだけにここに挙げられたような伝統の美は認めるにしても、現実にはすでに過去のものになりつつあったのかもしれません。

現実を一方で見つつ、それでも伝統にこだわるところが、彼の存在の原点にあったのです。

代表作『細雪』を読めば、そのことがよく理解できます。

大阪の旧家を舞台に、家が崩壊していく様子を丹念に綴っています。

関西に住んでいた上流の人々の生活を一方では絢爛に描きながら、経済生活が破綻し、いつまでも郷愁に浸りきれない4人の姉妹の様子が示されています。

滅んでいくものは限りなく美しいという日本文化の伝統をそのまま綴りながら、新しい生活が懐古しているだけでは破綻するという現実を如実につきつけています。

ある意味、「挽歌」といってもいいのではないでしょうか。

第二次世界大戦前のほんのわずかの時間だけ許された夢のような時も、現実の前では無惨です。

谷崎は、彼自身、どうしようもなく抗い続けようとしたものの、それがかなわない夢だということをよく知っていました。

それだけに哀感の漂う名作として今も残っているに違いありません。

彼の作品は三島由紀夫に多くの影響を与えました。

ともに日本文化の美をどこに求めなくはならないのかで悩み続けた作家です。

その1つの答えが、ここにある「陰翳」の美でした。

優美な世界の中にしか、夢を見られなかった作家の魂がこには宿っています。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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