君子の生き方
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は江戸後期に書かれた評伝を紹介します。
著者は原念斎。
江戸時代の儒者72人の伝記を年代順に記しています。
ここで取り上げる伊藤仁斎、大高坂清介の他、林羅山、新井白石、貝原益軒などの話が載っています。
江戸幕府が開かれると同時に、家康は学問を奨励しました。
特に武士社会の基本を儒家の思想、朱子学の中に見いだしたのです。
伊藤仁斎も初めは朱子学を学びました。
しかし仏教と老荘の説によって、孔子の学問を歪曲したと考え、『論語』『孟子』の基本に戻る学問を唱えます。
儒学の原義に立ち返ることが王道であるという古義学派を興したのです。
門弟は3千人もいたと言われています。
一方、土佐藩では朱子学が盛んで、この話に登場する大高坂清介は「土佐南学」と呼ばれた一派の門人です。
彼は朱子学を重んじ、仁斎の説は誤りであると攻撃しました。
特に『適従録』において、仁斎の『語孟字義』を批判したのです。
ここに取り上げるのは、その非難に対して、伊藤仁斎がとった態度について論じています。
今の時代ならば、さしずめ正面切ってのものであっただけに、相当強い圧力を感じたに違いありません。
しかしその時の仁斎の態度は非常にスケールの大きなものでした。
学問をしていく上で学ばなければならないことの1つでしょう。
信念を持つことの強さをあらためて考えてしまいます。
元の文章は漢文なので、書き下し文をここに掲載します。
声に出して読んでみてください。
内容はそれほどに難しいものではありません。
原文と書き下し文
大高坂清介、著「適従録」、以駁仁斎。
弟子持来示之曰、
「先生作之弁」仁斎笑而不言。
弟子曰、「人著書以恣議己。
苟辞不塞、豈可黙而止乎。
先生而不答、則請余代拆之。」
仁斎曰、「君子無所争。
如彼果是我果非、彼於我為益友。
如果我是彼果非、他日彼其学長進、則当自知之。
小子宜深戒。」
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大高坂清介「適従録」を著し以つて仁斎を駁す。
弟子持ち来たりて之を示して曰く、
「先生之が弁を作れ。」と。
仁斎笑ひて言はず。
弟子曰はく、「人書を著はして以つて恣(ほしいまま)に己を議す。
苟(いや)くも辞塞(ふさ)がらずんば、豈(あ)に黙して止むべけんや。
先生にして答へずんば、則はち請ふ余代はりて之を拆(くじ)かん。」と。
仁斎曰はく、「君子は争ふ所無し。
如(も)し彼果たして是(ぜ)にして我果たして非ならば、彼は我に於いて益友(えきゆう)たり。
如(も)し果たして我是にして彼果たして非ならば、他日彼其の学長進せば、則はち当に自づから之を知るべし。
小子宜(よろ)しく深く戒むべし。」と。
現代語訳
仁斎先生が存命だった時、大高坂清介という人が、適従録を著して、先生を大いに批判誹謗しました。
門人がその書物(適従録)を持参して来て、仁斎に示していうには、この書物に反駁し論破する著作を書いてくださいと勧めました。
先生は笑って何も言いませんでした。
弟子は怒ってつぶやきました。
「もし先生ご自身が、抗弁なさらないのなら、私がその役目に当たりましょう」と。
先生は静かに言いました
「君子は争うということをしない」と論語には書いてあります。
「もし彼が正しいならば私は過ちを正して、彼の正論に従おう。彼は有益な友です。」
「もし、私が正しく、彼が間違っているならば、私の正しさは、つまり天下のものです。」
「それなら、もともと抗弁する必要はありません。」
「しばらくすれば、彼もまた、自然と自分の論の誤りを知ることになるでしょう。」
「あなたたちは、自分自身の修養に務めなさい。」
この話から何を学ぶのか
大高坂清介が土佐南学派の儒者であったことを先程書きました、
自分の学問に対する自負がよほど強かったのでしょうね。
伊藤仁斎だけではありません。
彼の批判の対象になった人は数多くいます。
山鹿素行などもそのうちの1人です。
とかく学問というものは、1つの派内に入り学び続けると、他の流れが見えなくなってくるもののようです。
自分の学んでいる内容が最も優れており、それ以外は全て認められないということになりがちなものです。
ここで攻撃された伊藤仁斎の態度についてみてみましょう。
実に落ち着いていますね。
自分の学問についての自信が少しも揺らいでいません。
日本人の新しもの好きは昔からよく言われています。
それは海外の思潮などを取り込むときにもよくあらわれます。
これからはこの哲学体系が主流だとなると、みながこぞって同じ方向を向いてしまうのです。
これでは研究が深まるということは期待できません。
君子は少しくらいの批判にめげるようではいけないのでしょう。
本当に相手が優れていれば、それを受け入れることが大切です。
反対に相手が間違っているならば、しばらく後にはそれが明らかになる瞬間がやってくるのです。
それくらいのスケールがないと、これからも学問は進んでいかないでしょうね。
大学で学ぶことの意味が、現在では大きくかわってしまっています。
完全に就職のためのハードルになっているのです。
企業にとって、大学は選別装置の1段階でしかありません。
この機会に自分の学び方について、少し考えてみてください。
同時に漢文を読む力も養ってもらえれば幸いです。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。