大学と社会
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は大学教育が、どの程度社会において役立つのかについて考えてみます。
この話に興味を持ったのは社会学者、小熊英二氏の著書を読んだことによります。
本のタイトルは『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)です。
日本の労働者の内実を「大企業型」「地元型」「残余型」の3類型に分類しています。
「大企業型」の典型は、経団連幹部の実態分析によるものです。
データの基礎は、出身大学と勤続年数です。
幹部は東大を中心に、一橋、早稲田、慶応と首都圏の名門大学出身者で占められ、大学で何を学んだのか、いかなる専門分野を研究し、仕事の経歴に生かしたのかについては一切問われていません。
現在の就職活動と全く同じパターンです。
エントリーシートを作成して企業の入社試験に臨む時、最も聞かれることは、「ガクチカ」と呼ばれる学生時代に最も力を入れたことは何かということなのです。
どちらかといえば、企業は大学内外での活動の様子を知りたがります。
NPOやNGO、クラブ、サークルなどを通じて実践したこと、学んだことの内容を自己分析とともに、エントリーシートに書かせ、面接を繰り返します。
そこでの成功、失敗から何を学んだのかが大切なのです。
大学の名前が最前列にあり、何の学問をしたのかについてはそれほど詳しく訊ねられることはありません。
どの大学に入学したかで受験勉強達成のレベルを評価するのです。
なぜこういう形式での就職活動になっているのでしょうか。
受験勉強で培った学力は、企業に入社して実績を上げる下地には必ずしもなるとは限らないのにです。
この方法は一定のレベルに達した大学を出た学生であれば、過去の実績からある程度の活躍が見込めるという期待値に基づいています。
その構造が、日本では顕著であり、諸外国に比べて大学院への進学者が少ないことと密接な関係を持っているのです。
就職と指定校
日本の大手企業は俗にいう指定校という名前の線引きをしているという話があります。
事実、今年に入って大学名が具体的に表面化し、それよりレベルが下の学生には面接もしないという現状が明らかになりました。
東京に本社を置く大企業に就職したいと思う学生は、東京にある大学を目指す傾向が強いのです。
それがますます東京への一極集中を生み、都内の大学の定員厳格化を招き寄せる結果になりました。.
新書としては信じられないくらいに分厚い本を読み終わり、過去にこの種のテーマで入試に出題された問題はないか、探しました。
その時に以下の文章に出会ったのです。
まさにズバリとその内容を描写していました。
某国立大学に出された過去問です。
全文はやや長いです。
とにかく読んでみてください。
設問は次の文章を読み大学と社会との関係について1200字以内で論じなさいというものです。
国立の場合は1200~1500字程度で書かせる問題が多いです。
課題文
大学教育と企業の採用との間に大きな断絶がある。
採用に際しては、理工系など一部の学部を除けば、大学で何を学んできたかはほとんど考慮されていない。
その結果、大学選びにしても、それぞれの大学で何を学べるかが基準に行われることはあまりない。
むしろ就職において有利となる入試難易度の高い特定の大学に希望者が集中し、そこに合格すること自体が目的化する。
大学からみれば、大学で学生にどれだけ付加価値をつけるかよりも、良質な素材の学生をいかにして集め、卒業生の実績を上げることに力は注がれやすい。
もちろん、こうした体制を作り上げた責任は大学にもある。
今後、入試方法や授業内容を改革していかなければならないことは言うまでもない。
しかし同時に企業の採用やその後の人材活用についても検討が加えられる必要があろう。
そうすることによって、学校教育にも変化が現われよう。
日本のホワイトカラーはジェネラリストであるとよく言われる。
しかし企業におけるキャリア形成を丹念に研究した分析結果では、日本でも人事や労務、経理、営業といった特定のフィールドの中で配転され、人材は育成され活用されていくことが多く、 他の国と違うのは日本の方が関連分野を広く経験させ、幅広い専門性が育成されるだけであるという。
もしそうであれば、入社時にフィールドを指定した採用も不可能ではない。
しかも、近年業務の国際化や情報化、高度化により企業は専門的知識の必要性を高めている。
その一方で、業務範囲が拡大し一人の人が担わなければならない仕事の範囲が広がれば、これまで以上に幅広い知識の要求される仕事も増える。
仕事の内容が多様化すればそれだけ職種によって適材と思われる人材は異なってくるはずである。
そうなると、個々人にあらかじめどのような仕事を任せるかを考慮しないという、大卒の少ない時代に設けられた採用方法には限界が出てくる。
職種によって働き方や勤務時間、人材の育て方、業績の評価基準が変わってこよう。
人々の価値観もますます多様化するから、企業内における人材のミスマッチは拡大する。
フィールドを指定した採用は、応募者が自分の価値観と自分の考える適正を表現できる機会を提供する。
企業がいくら人材の多様化を唱えても、個々の応募者に就職後どのような仕事を任せるかわからない状態では、すべてのことに平均的な力を持った画一的な人材を集めるしか仕方がない。
もちろん大学における勉学だけで仕事がこなせるわけではないし、大学の授業が職業能力を高めるためだけに存在しているわけでもない。
しかし現状のままでは学生は自分がまもなく始める仕事を予想することさえ難しく、これに備えることができない。
少なくともフィールドの選択が可能になれば、ある程度大学生活を自分の真のキャリア形成の一環として位置づけられるようになろう。
企業は不確実性の高い社会にあって、教務の変更や雇用保障を考え、フィールドを固定し、手足が縛られることを嫌う。
さらに企業は色々な仕事をさせ様子を見てから、配属を決めたいと考えるかもしれない。
あるいは働く側にしても、長い間には考え方が変わるかもしれない。
フィールド別の採用は種々の困難を伴うが、しかしフィールド間の乗り換えを認めておけば、話し合いにより解決出来ない問題ではない。
現在のような潜在能力だけを重視した採用が続く限り、子供の数が減ったからといって、特定の大学に対する受験戦争の厳しさは緩和するとは思えない。
出典 樋口美雄 『大学教育と所得分配』 石川経夫編 『日本の所得と富の分配』
採用方式
大学での学びは、社会で役立つのかというのは、本当に久しく論じられ続けてきた問題です。
これまで日本では「メンバーシップ型」の雇用が主流でした。
いわゆるオンザジョブトレーニングのスタイルです。
全体的にさまざまな仕事を経験しながら、最適の仕事に従事するという型です。
一括採用、終身雇用の時代の基本形です。
しかし世界標準は、欧米に多くみられる「ジョブ型」の採用です。
1つの仕事に特化した専門職志向が基本です。
どちらがこれからの主流になるのでしょうか。
あなたの基本的なスタンスを示しつつ、これからの時代を乗り越えていくための方法論を論じてください。
現在のような指定校システムがいつまで続くのか。
ホンネとタテマエのぎりぎりの線まで踏み込んで、意見を書くのです。
もちろん、課題文の内容から読み取れる筆者の志向に対して、賛否を加えられるのであれば、それは力になります。
ジョブ型の就職が主流になれば、日本人の大学選びにも変化が出てくるかもしれません。
そのあたりにまで踏み込んでください。
大学という場がなんのためにあるのかという基本を、押さえなければならないのです。
その意味でも十分に思索を深める必要があります。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。