美しいという表現
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
美しいという言葉を聞けば文字通り1つのイメージが浮かびますね。
もちろん「美」とは何かというのは難しい問題です。
しかしある種の概念が存在するのは確かです。
私たちは芸術や文化のあらゆる場面で美しいという表現を使います。
ところがその実態を明らかにするのは大変に難しいのです。
昔の日本ではどうだったのでしょうか。
古語で「うつくし」というと現代語とはちょっと意味が違います。
恋人、家族などに対しては「いとしい」「かわいい」「恋しい」とほぼ同じ意味の言葉です。
幼いもの、小さいものに対して「かわいらしい」「愛らしい」という感情を示します。
その他には立派とか見事だというイメージもあります。
古語の「うつくし」に近い意味では「らうたし」という形容詞もあります。
いたわってあげたいくらいにかわいいという感覚に近いのでしょうか。
日本人論を読んでいると、民族の特性として小さなものに対する愛情がきわめて深いという現象にぶつかります。
自然を小さく縮めそこに美しさを感じるという心の在り方は日本人特有のものなのでしょうか。
日本で最古の物語といえば『竹取物語』です。
かぐや姫が登場します。
さらには一寸法師や桃太郎。
世界に目を向けてみると、白雪姫と7人の小人などという話もあります。
だから小さなものへの愛は、必ずしも日本人だけの特許というワケではないでしょう。
しかし身体がどちらかといえば小さな日本人にとって、幼くてかわいい小さなものに対する愛情の深さは並々でなかったと想像できます。
清少納言の感性
随筆『枕草子』にも「うつくしきもの」の章段があります。
授業で取り上げたことも何度かありました。
忘れてしまっている人でも「瓜にかきたるちごの顔」というフレーズは覚えているかもしれませんね。
清少納言の感性にピタリとあった「かわいいもの」ばかりが列挙されている段です。
彼女はどんなものに可愛らしさを感じていたのか。
原文を読んでみましょう。
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うつくしきもの。
瓜にかきたるちごの顔。
すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。
二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひくる道に、いと小さきちりのありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる。
いとうつくし。
頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきてものなど見たるも、うつくし。
大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられてありくもうつくし。
をかしげなるちごの、あからさまにいだきて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。
雛の調度。
蓮の浮葉のいとちひさきを、池より取りあげたる。
葵のいとちひさき。
なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし。
いみじう白く肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍の薄物など、衣長にてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また短きが袖がちなる着てありくもみなうつくし。
八つ、九つ、十ばかりなどの男児の、声はをさなげにて書読みたる、いとうつくし。
現代語訳
かわいらしいもの。
瓜にかいてある幼い子どもの顔。
すずめの子が、人がねずみの鳴きまねをすると飛び跳ねてやって来る様子。
2、3歳ぐらいの子どもが、急いではってくる途中に、ほんの小さなほこりがあったのを目ざとく見つけて、とても愛らしい指でつまんで、大人などに見せた時の様子。
髪型を尼のように肩の高さで切りそろえた髪型の子どもが、目に髪がかぶさっているのをかきのけることもしないで、首をかしげて何かを見ているのなども、かわいらしい。
大きくはない殿上童が、美しく着飾って歩くのもかわいらしい。
かわいい子供が、ほんのちょっと抱いて遊ばせているうちに、しがみついて寝たのは、とてもかわいらしい。
人形遊びの道具。
蓮の浮き葉でとても小さいのを、池から取り上げたもの。
葵の大変小さいもの。
何もかも、小さいものはみなかわいらしい。
とても色白で太っている子で2歳ぐらいになるのが、紅花と藍で染めた薄い絹の着物などを、丈が長くて袖を紐で結びあげたのが這ってでてきたのもかわいい。
短い着物で袖だけが大きく目立っている様子で歩いているのもかわいらしい。
8、9、10歳ぐらいになる男の子が、声は子供っぽいのに漢文の本を読んだりしているのは大変かわいい。
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清少納言は、様々な仕草をする赤ん坊や小さな子供に可愛いらしさを強く感じていたことがよくわかります。
確かに幼い子供が何かをちょっとつまんで首をかしげている様子などは、愛くるしいですね。
あどけなく寝てしまう様子もなんとも言えません。
たんに小さいものが気になるというレベルではなさそうです。
彼女は小さいものはみな美しいと感じていたのでしょう。
きっと守ってあげなくてはならないという感情が芽生えていたに違いありません。
日本の文化を考える上で、この小さなものに着目するのはとても大切です。
縮み志向の日本人
韓国の文芸評論家、李御寧の本に『縮み志向の日本人』があります。
ベストセラーになりました。
日本人はなんでも小さく縮めてしまうのが好きだとあります。
文芸、建築、文化、工芸の全てにわたって縮み志向が強いというのです。
元々、手先が器用なんでしょう。
細かい作業が本当に上手です。
お米の粒に文字を書いたりするのを見たことがありますか。
お経などを書くのです。
手拭、扇子、浮世絵の細かな技術。
根付や茶筒などにも実に見事な技が伝わっています。
金属の1枚板を叩いて伸ばし、それをつないで作るのです。
蓋を乗せると、自分の重さで茶筒が静かに沈んでいきます。
工芸品を見ていると、その技術の確かさには目を見張ります。
歌もそうですね。
短歌が縮んで短い俳句になりました。
盆栽にいたってはまさに芸術作品そのものです。
自然の庭を極限にまで縮めて、もう1つの完成した世界をつくり上げます。
盆栽には内側に染み渡った躍動感がみなぎっています。
さらにいえば、小型家電や武道なども同じです。
身体の小さな人が大男を投げ飛ばすなどいうことも平気で行われているのです。
そう考えていくと、小さなものを愛おしいと感じる心は民族の中に沁み込んでいるような気がします。
それを子供の姿に託してまとめたのが、清少納言だったのではないでしょうか。
雛人形の中に人の心を封じるという日本人の発想もユニークです。
それを水に流していく形代という考え方をご存知ですか。
みそぎやお祓いをするためのものです。
人の代わりとして使った人形のことです。
よく考えてみると、周囲を海に囲まれていた島国だからこそ、芽生えたいくつもの発想法があることに気づきます。
あなたの周囲にも小さくて愛おしいものはありませんか。
それがおそらく日本人の民族性に根ざしたものの1つだと考えられます。
少し考えてみてください。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。