【小論文・テーマ型問題】自由に書けという指示に従わず問題点を掘る

小論文

自由作文じゃない

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校教師、すい喬です。

今回は「自由に書く」について考えます。

よくありますね。

「世界はのっべらぼうである」(西江雅之)という言葉について、あなたが感じたり思ったりしたことを自由に書きなさい。

「不言実行」という言葉についてあなたが考えたことを自由に書きなさい。

「窓」という言葉から考えたことを自由に文章にしなさい。

人間の成長にとってなぜ読書が大切なのか。自分の経験も含めて自由に書きなさい。

このパターンです。

この問題文の中にある「自由に」が厄介なのです。

一見、なんでも書いていいんだなと思わせる自然な表現です。

しかしこれを頭から信じて作文を書いたら、とんでもないことになります。

誰もあなたのエッセイを期待しているワケではないのです。

ユニークな体験などを入れ込んで、ちょっと笑いをとろうなんてとんでもない話です。

高校や大学の入試に作文の問題などは出ません。

たとえ、作文と書いてあってもそれは小論文なのです。

まずこのことを頭に入れておいてください。

それならばなぜ「自由に」などという言葉をいれるのか。

決まり文句なのだと知っておくことです。

それ以上の意味はありません。

とするなら、あくまでも小論文の論法をきちんと守り、そのスタイルの文章にする以外手はないのです。

問題の核心はどこにあるのか

テーマ型の問題の場合、非常に短文である場合が多いです。

ぼんやり読んでいると、どこに問題の根があるのか見えてきません。

それをまず掘るところからしなくてはならないのです。

国語力がないと、つらいです。

とにかく深く掘りましょう。

少しでも鉱脈に近そうなものを探すことです。

どうしたらいいのでしょうか。

最初は問題のテーマに寄り添うことです。

なるべく親しくくっついて、何を言おうとしている文章なのかを分析して下さい。

その中にキラッと光る原石が必ずあるはずです。

見つけたらそこを掘ります。

テーマが理解できなければ、それで終わりです。

試しにもう1つ。

この文章はどうでしょうか。

内容を読んで考えたことを自由に書きなさいというものです。

問題を出さないで答えだけを出そうというのは不可能ですね。(岡潔)

これだけです。

最初にまずすることはテーマの解釈です。

受け手の全身で理解しなくてはいけません。

短い表現です。

あなたならどこからかぶりつきますか。

何を1番に考えましたか。

あるいは考えるべきだったでしょうか。

それを示さなくてはなりません。

キーワードを探そう

現在の学校教育でこのような問題の探し方をすることは殆どありません。

もちろん、これからは増えてくるでしょうね。

しかしまだ先生方も慣れていないのです。

自分の用意していた論点以外の答えが出てきた時、先生自身も十分に対応できないだろうという不安があるからです。

本来学校の授業は脇道へそれながら、新しい方向を探ることの可能性に満ちています。

しかしそのゆとりがないのです。

だからこそ、小論文の核心を探す作業は大変です。

現在行われている授業は一定の読み方や汲むべき意味を最初に先生が提示します。

次に内容を理解していくというパターンが主流です。

本来なら自力で解釈するという授業がもっとあってもいいのではないでしょうか。

それをあえて入試の小論文問題にぶつけてきているのです。

みなさんは全身で受け止め、考えなければなりません。

自分なりのキーワードを提示しましょう。

当然その解釈が妥当なものであることを証明することも必要になります。

「問題を出さずに答えを出す」とはどういうことでしょうか。

最初の言葉の意味がわかりますか。

「問題」とは何か。

つまり答えのない問いを自ら探すという人間の本質的な行為をさすのです。

知への作業です。

もっといえば、「問題発見能力」です。

今回のテーマは問題を探し出せた人だけが答えに1歩近づけるというイメージなのです。

では問題とはなんでしょう。

みなさんは岡潔を知っていますか。

天才数学者、岡潔

岡潔は、日本で最も有名な数学者だといっても過言ではありません。

彼が最も恐れていたのは日本人の心の問題です。

「謙虚の精神」をいつの間にか忘れ、自分中心の権利を振りかざすようになったこと。

人を思いやる心がなくなり、人を押しのけても自分が前に出ることばかりを考えていること。

答えを早く見つけることばかりを考え、その根本にある問題を考えようとはしないこと。

このポイントを大変に危惧していました。

本来なら、私たちはいい問題をみつけることにこそ、エネルギーを注ぐべきなのです。

しかしそれをせずに効率重視に偏りすぎてしまいました。

今こそ、原点に戻り、どうしたら問題発見能力を身につけることができるのかを考えて欲しいというのが彼の願いだったのです。

謙虚に自分自身に向かい合い、何が問題なのかを探る。

言うのは容易いですが、これほどに難しいことはありません。

しかしそれをする以外、真理に到達することはできないでしょう。

そこを冷静に見つめる文章が書ければ、このテーマに肉迫したことになりませんか。

その道の先に知への欲求があるはずなのです。

細い道かもしれませんが、それをひたすら愚直にたどっていくこと。

私たちは誤らずに自分の命を全うさせることができるのではないでしょうか。

かつて篤農家と呼ばれた多くの人たちは自然の恐ろしさを知り、敬意を抱き続けていました。

それと同様に問題を探しだすことへの熱意がこの文章のカギになるはずです。

自由に書くというのは作文を好き勝手に書けという意味ではありません。

最後までテーマの意味を探ることを意味します。

それができた答案だけが合格への近道に立てるのです。

問題の核心にせまるためには、日々の勉強が必要です。

キーワード1つ間違えると、全くトンチンカンな文章になってしまいます。

つらい作業だと思います。

へこたれずに勉強を続けましょう。

このスキルは一生有効です。

信じてついてきて下さい。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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