すごく怖い噺
みなさん、こんにちは。
アマチュア落語家、ブロガーのすい喬です。
いつも暢気に落語の話を書いてます。
楽しいですよ。
今回はぐっと趣向をかえて、幽霊の出てくる噺をします。
実は大好きなんです。
ぼくも2つほどレパートリーにして持っています。
ただし高座にかけたことはありません。
何しろ長いのです。
「怪談乳房榎」は前編と後編でそれぞれ30分ずつ。
「牡丹灯籠」はどう短くしても「お札はがし」まで40分はかかります。
こういうマニアックな噺はよほどお好きなお客様の前でないと、なかなかできないものです。
桂歌丸師匠が亡くなって、圓朝ものを本格的におやりになる噺家がまた1人消えました。
圓朝の名前はご存知ですよね。
あの三遊亭圓朝です。
落語の始祖と呼ばれています。
またの名前を無舌居士。
舌があるからおまえの噺はダメなんだと何度も言われ、ついに舌がなくても喋れる心境に達したという伝説の人物です。
谷中の全生庵に師と仰いだ山岡鉄舟ととともに眠っています。
この人についての話は別のところに書きました。
最後にリンクを貼っておきますので、お読みくださいね。
実は今、桂歌丸師が残してくれた『口伝、圓朝怪談噺』を読んでいるところです。
これは「真景累ヶ淵」を7話に縮めて、生前に口演したものをそのまま筆記したものです。
実に長くて厄介な噺なので、ぼくはやろうとは思っていませんが、資料として求めました。
この中で一番高座にかけられるのは「豊志賀の死」です。
これはきっと聞いたことのある人もいることでしょう。
怖ろしい噺です。
「牡丹灯籠」前編
最初に稽古したのは「牡丹灯籠」です。
圓生の本を買い込み、何度も聞きました。
この噺家のはほぼ圓朝の筆記録を元にしています。
その後、春風亭小朝のなどを聞き、自分なりにアレンジしました。
とにかく長いのです。
これはNHKでドラマになり放映されています。
内容はなかなかに複雑で、敵討ちの話と恋愛の話とが交互にでてきます。
現在ではあまり敵討ちというのは、実感がないのでしょう。
もっぱら萩原新三郞とお露との関係にしぼられることが多いようです。
根津の清水谷に父親が残してくれた田畑や長屋を持ち、生計を立てている浪人の萩原新三郎が主人公です
美男ですが本を読むのが好きという、やや内気なところがあります。
そこへある日、知り合いの医者の山本志丈が亀戸の臥龍梅を見に行こうと誘いにあらわれます。
その帰り、ちょっと一緒にと言って連れて行ったのがお露の住む柳島の別荘でした。
2人は顔を合わせた途端にお互いに恋に落ちるのです。
帰り際にお露は「また来てくださらなければ私は死んでしまいます」と声をかけます。
新三郎はそれ以降、お露のことを忘れることができません。
しかし生来の内気な性格で自分からは会いにいけません。
お露のことを思い詰めて暮らしていると6月のある日、やっと志丈が訪ねて来ます。
志丈の話によれば、お露は死んだとのこと。
お嬢様はあなたに恋い焦がれて死んでしまったそうです。
女中のお米さんも看病疲れで後を追うように死んだそうですよ。
新三郎はそれからというものお露の俗名を書いて仏壇に花を供えます。
やがて盆の十三日の夜、お露のことを思いながら冴えわたる月を眺めていると、カランコロンカランコロンと下駄の音が響いて聞こえてきます。
ここは誰でも知っているこの噺のクライマックスです。
牡丹芍薬の灯籠を提げたお米を先に、後から文金の高髷、秋草色染めの振袖姿のお露があらわれます。
二人とも新三郎のところへ泊まり、次の晩もその次も、雨の日も風の日も続き、お露と新三郎の仲はまるで夫婦同然です。
ここまでが前編でしょうか。
「牡丹灯籠」後編
新三郎の孫店に住んでいる伴蔵が、毎夜新三郎の家に女が通って来るのに気づきます。
不審に思って、戸の隙間から中の様子を見ると骸骨を抱きしめた新三郞の姿がありました。
翌朝、伴蔵は新三郎の相談相手となっている易者の白翁堂勇斎のところへ行きます。
勇斎は天眼鏡で新三郎の顔を見て死相を確かめ、すぐに三崎村に住んでいるというお露とお米の家を探しに行けと命じます。
しかし案の定、家はありませんでした。
帰ろうと思い、新幡随院の境内を通るとお堂の前に牡丹の花の綺麗な灯籠が置いてある新墓があります。
聞くと飯島平左衛門の娘、お露と女中の墓だというのです。
幽霊にとりつかれたのを知った新三郎は新幡随院の和尚から幽霊除けのお札をもらい、死霊除けの金無垢の海音如来像を借りて帰ります。
すぐにお札を貼りつけ、海音如来を肌身につけました。
やがてその夜もお米とお露がやってきますが、家の中にはお札が貼ってあって入れません。
お米は孫店の伴蔵のところへお札をはがしてくれるように頼みに行きます。
女房のおみねは百両の金を取ってお札をはがしてしまったらともちかけるのです。
お米は百両の金と引き換えに、お札はがしと新三郎が肌身につけている海音如来像を盗み取ってくれるように頼みます。
おみねは新三郎を行水させ、その隙に伴蔵が金無垢の海音如来を抜き取りました。
伴蔵はお札を全部はがし、やがてお米とお露は新三郎の家へすいこまれるように入っていきます。
ここまでがいわゆる「お札はがし」の段です。
その後は想像できますね。
すぐに新三郎は取り殺されてしまうのです。
どうでしょうか。
とても長いのはわかっていただけましたか。
実はここからが面白いのです。
本当はこの後を覚えたいのですが、いまだに果たせていません。
俗に「栗橋宿」と呼ばれています。
主人公、萩原新三郎は死んでしまいますが、後編の主人公は伴蔵です。
ぼくはこの段の方が好きですね。
というのも、人間の欲望が丸出しになっているからです。
そこに最初の敵討ちの話も重なって出てくるというのですから、よくぞこんなに複雑な噺を書いたものだと感心させられます。
伴蔵は栗橋宿の料理屋で知り合った女といい仲になります。
この女こそお露の父、飯島平左衛門の妻女が死んで女中から後添いに居直ったお国なのです。
伴蔵に女ができたことをうすうす感づいたおみねは、下働きの久蔵に酒を飲ませて酔わせて、お国のことを洗いざらい喋らせてしまいます。
ここからおみねと伴蔵との痴話喧嘩が始まるのです。
なんとか話をまとめ翌日、幸手の祭りに二人で出かけたその帰り道のこと。
夜、土手まで来ると伴蔵は、おみねに土手下に海音如来を埋めてあると欺します。
掘り出すから見張っているようと言い、暗い中をおみねの後ろへ回って腰に差した脇差をそっと抜いて、おみねの肩先目がけて切り込んで殺してしまうのです。
実にこの場面は凄惨極まるものです。
前の晩、なんとかおみねを丸め込み、もう一度大きくなった身代をもって別の土地へ行こうと言いながら、本心は料理屋の女と一緒になりたかったのです。
このあたりには、男女の愛情の複雑な一面が覗きます。
ここはどうしてもやりたいですね。
おみねの造形が非常に難しいのです。
色と欲がまざりあった女の本心といったところでしょうか。
怪談噺の真実
圓朝は怪談というものを本心から信じてはいなかったようです。
その証拠に「真景」という表現を使っています。
これはもちろん「神経」のもじりです。
つまり人間の持つ悪徳が神経に作用し、それが本当に幽霊になって出てくると考えたのです。
全生庵にはいくつもの幽霊画があります。
その幾つかを見たことがあります。
しかしどれも全て想像上のものでしかありませんでした。
ここでは取り上げませんでしたが、「怪談乳房榎」に出てくる画家ももしかすると、圓朝のイメージの中では、そうした幽霊画を描く実在の人物をイメージしていたのかもしれません。
園朝自身も、若い頃は絵を描いていました。
そうしたことのさまざまな背景が、この作品に彩りをそえていると思われます。
いつか是非、「栗橋宿」をやりたいです。
歌丸の「栗橋宿」もいいですが、お勧めは圓生のものです。
よくぞこのおみねという女をここまでリアルに演じたと感心させられます。
芸の力というのは怖ろしいものです。
今回は「牡丹灯籠」について書きました。
またチャンスがあったら、他の作品についても解説をしたいと思います。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。