専門性の重視
みなさん、こんにちは
小論文指導歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。
その間にたくさんの小論文を読んできました。
添削もしました。
小論文は大変に難しい試験だと思います。
その中で医療系、看護系の小論文には大きな特徴があります。
それは専門性を最大限に重視した問題が出るということです。
他の文科系、理科系の大学などとは全く違う傾向の出題パターンです。
逆にいえば、そこを徹底的に勉強しておけば、合格も近づくというわけです。
医療系の文章には特に論理性の必要なものが多いのも特徴です。
感情的にならずにものごとを処理する能力が求められているからです。
とりわけ、専門的な知識を背景とした難問が多く出題されます。
それはなんのことですかというようなレベルでは、とても合格はおぼつきません。
その受験生がどの程度の医療知識を持っているのかを大学は知りたいのです。
さらに患者ファーストの時代です。
さまざまな階層の人と緊密にコミュニケーションをとらなければなりません。
どのような価値観をもった人間であるのかも、同時に考慮したいというのが本音です。
つまり、専門性とそれに裏打ちされた教養を同時に判断できる問題が、入試には最適だというわけです。
しかし受験する立場からみると、さまざまな医療知識を学びつつ、同時に文章の書き方から教養まで試されるということになると、これは容易なことではありません。
しかし覚悟をしてください。
資質がない者は、今後も医療の仕事に携わることはできません。
必ずどこかでつらい目にあうのは明らかです。
今回は今日問題になっている一番基本的な医療テーマについて書きます。
苦手な分野や、どうしてももっと自分で知りたくなったらさらに深掘りしてください。
そこからまた次のポイントがみえて来るはずです。
先端医療
従来の入試でよく出されたテーマの1つが「ガンの告知」でした。
しかし現在はどうでしょう。
多くの医療現場では、ためらうことなくガンの告知を行っています。
もちろん状況によって本人に隠すことはあっても、家族に告げないという場面はほとんどありません。
つまり医療の常識は時代とともに変化しているわけです。
同時に新しい医療技術の開発も日新月歩で進んでいます。
その中でも特に難しい先端医療において、テーマとなりうるのは「脳死」「生殖医療」「出生以前診断」です。
脳死は臓器移植と密接な関係を持っています。
移植するための臓器が不足している現状では、脳死の判定が重要なテーマとなります。
また子供のできないカップルのために、「生殖医療」も今日さかんに行われています。
これには代理母や代理出産といった倫理の領域に踏み込む大きなテーマと共に、親と子という大きな問題をかかえることになります。
代理母が自分の子に対して、愛情を抱き、他者に渡さないということも起こっています。
さらには金銭で生殖を請け合うことが、倫理的に許されることであるのかという大きな問題があります。
また重要なテーマとして、今日問題になっているのが「出生前診断」です。
子供が生まれる前から胎児の身体の異常がないかを今では容易に調べることができるようになりました。
かつては羊水検査だけでしたが、今では遺伝子レベルまでの検査が可能です。
そこで起こるのが障害児と断定された時、出産をするかしないかという大きな問題です。
そもそも出生前診断という医療行為をしていいものかどうかという根本的な問題があります。
「障害を理由にした胎児の中絶は許されるの」かということです。
別の言葉でいえば、「障害を持っている人間に生きる権利はないのか」というテーマです。
さらに「障害が理由で出生前に中絶を認めてもよいのか」という問題を設定できます。
いずれも同じポイントを別の角度から照らしたものです。
全く共通の問題と考えてください。
これは大変にシビアなテーマです。
現在妊娠すると、あらゆる病院では必ず出生前診断を詳細にします。
胎児の堕胎が認められている週数が決まっているからです。
必要ならばそれ以前に高度な判断をしなければなりません。
中絶を医療行為としてすることが、認めうるのだろうか。
生まれてくる障害児に人権はないのか。
いずれも倫理的な問題です。
生きる権利は当然健常者と同じというのが、今日の考え方です。
しかし実際に障害のある子供を育てる人の立場にたてば、そう簡単にはいきません。
精神的、経済的な不安は増すばかりです。
大袈裟にいえば、親の人生設計そのものも狂ってしまうことになるのです。
その結果として、中絶は許されるのか、許されないのか。
両方の立場から一度書いてみてください。
許される立場、許されない立場のどちらがあなたは書きやすいですか。
ここではどちらかといえば、抵抗があり、書きにくい立場に立って文章をまとめることを推奨します。
おそらく今までに考えたこともない重要なポイントと出会うに違いありません。
それが勉強になるのです。
一番重要なことは何か。
現在の医療は全て自己決定を前提にしています。
両親の決定を周囲の医療関係者が否定することはできません。
障害があっても人間らしく生きている人はたくさんいます。
反対に堕胎手術をうけたからといって非難されるべきものでもありません。
喜んでそうした手術を受けるわけではないのですから。
このテーマは今日の医療の中でも大変に大きなものです。
必ず自分でYES、NOの立場にたって文をまとめること。
約束してください。
遺伝子
先端治療の中でも大変に複雑なのが、遺伝子の問題です。
遺伝子はDNAの塩基配列によって決まっています。
ヒトの身体はタンパク質分子によって作られているのです。
ほとんどの組成が解明された現在、問題はどこにあるのでしょうか。
それは遺伝情報が個人のプライバシーに関する極秘案件だということです。
簡単にいえば、ヒトクローンの開発にも使われる可能性があります。
あるいは遺伝病は個性なのかそうでないのかという大きな問題になります。
「ヒトゲノムでの遺伝子の型の違いは約38000の遺伝子のうちの0.1%に過ぎないということがわかってきました。
あとは全て共通なのです。
となると、遺伝病は特別なものではないと考えることもできます。
遺伝病にはどのようなものがあるのでしょうか。
一番ポピュラーなものでは色覚異常,血友病,フェニルケトン尿症があげられます。
これらは1つの主遺伝子の異常によって起こるものであるとされています。
その他何10対の同じ作用の遺伝子によって起こる遺伝病もあります。
高血圧,糖尿病,さらにはガンなどもこの遺伝子によると考えられているのです。
ヒトゲノム全体からみると個性とはほんのわずかな遺伝子の差ということになります。
そこで一部に異常があるといって、差別をしたり、堕胎まですることが人間に許されるのかということです。
出生前診断ともからみますが、異常は染色体のごく一部にとどまるだけです。
それでも異常として人工的に妊娠中絶をする権利を人は持っているのでしょうか。
しかしそうはいっても苦しむ人間がいるのも事実です。
少しの遺伝子に欠陥があれば、それは大きなマイナスになりうると考えるべきだという論点もありうるでしょう。
遺伝子の共通性と個人とは両立しないという考え方もあります。
ほとんど健常者とかわらないという遺伝子異常者との間の微妙な問題は、ヒトゲノムの研究が進むにつれ、ますます複雑になると思われます。
あなたはどちらの立場に立ちますか。
書きにくい方の視点から、文章をまとめてください。
インフォームド・コンセント
最後はこのテーマにつきます。
従来の医療は手をさしのべて助けてあげるという姿勢に貫かれていました。
現在は患者主体の医療が根本です。
医療行為の根本は患者そのものであるということが基本中の基本です。
日本ではまだインフォームド・コンセントの考え方が完全に浸透しているとは言いがたいようです。
患者は無力な存在です。
だからこそ、自己決定を最大限に優先するという態度を最後まで捨ててはいけません。
患者に対して症状、治療法、薬の副作用など、知らせるべきことは全て伝えなくてはなりません。
その後で、それならば治療を開始したいという意志があってはじめての医療行為となるのです。
これはターミナルケアの考え方とつながっています。
安楽死、尊厳死の問題と分けて考えることはできません。
人から生と死を分けて考えることはできません。
3000億といわれている人間の細胞は生死を繰り返し、最後にその役目を全て終えて、人として死ぬのです。
その最後の最後までインフォームド・コンセントの考え方を貫くためにはどうしたらいいのか、
何をするべきなのかということが、毎年のように入試には出ます。
それだけ普遍的なテーマであることは間違いありません。
日々、科学は発達しています。
以前は考えられなかった医療技術の発達とともに、考えなくてはならないことばかりが増えています。
それだけに小論文のテーマも複雑になりつつあります。
今回は先端治療の問題とと基本的な医療の関わり方をテーマにしてみました。
必ず自分で文章を書いてみてください。
なにより論理性が大切です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。