【小論文・異邦人の眼】常識というバリアに囚われたら想像力は沈没必至

学び

異邦人の眼

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は評論を読みましょう。

それほどに難しい内容ではありません。

誰もがなるほどと納得できるものです。

しかしそれだけに小論文としてまとめる段階になった時、かなり悩みます。

筆者の論点をそのまま進めればいいのか。

あるいは、反対の立場をとるのか。

ここで書けなくなってしまうのです。

キーワードは「常識」です。

外界を把握する時の眼に、すでに「常識」というバイアスがかかっているという事実を筆者は指摘しています。

独自の世界観を持つことが、勿論悪いというワケではありません。

誰にでも当然、その人なりの価値観があります。

それを否定しているのではないのです。

ポイントは無色透明になることではなく、つねに異邦人のまなざしをもって、新鮮な視点を維持し続ける覚悟があるのか、ということです。

自分が持っている常識と目の前の現実との整合性を、どう作り上げるのかという点です。

一言でいえば「矛盾」との戦いが意味を持ちます。

人間は頭が固くなれば、当然、自分の考えに固執してしまいがちなものです。

そこからどのようにして抜け出したらいいのか。

小論文としてまとめる場合には、その点が要求されるでしょう。

体験や見聞が必ず必要になります。

書き方としては、この論点をどう先に伸ばしていくのかというところが大切です。

筆者は社会心理学者の小坂井敏晶氏です。

800字の小論文を書くつもりで、課題文を読んでみてください。

1部、割愛してあります。

課題文

新発見は無から生まれるのではない。

コロンブスの卵がよい例だが、解決がわかってしまった後では「なんだそんな簡単なことか」という反応が返ってくるように、実は答えがすでに目の前にあるのに、常識が邪魔してそれが見えていない場合が多い。(中略)

我々は誰でも岩が色付きメガネをかけているようなもので、レンズが起こす変色やゆがみを通してしか人間は外界を把握できない。

ある対象を前にするや否や、私たちは自らの持つ世界観にしたがってすぐさま対象を解釈する。

知識を習得し、思考訓練を積み、あるいは喜怒哀楽を生きることを通して、我々の眼を覆うレンズの色はどんどん変化する。

かといって、レンズの色が濃くなくなったり,無色透明になったりすることはありえない。

哲学者であろうとも科学者であろうとも、世界観という色メガネを必ずかけて生きている。

メガネをはずして外界を直接把握することなど人間には絶対にできない。

新しい知識の獲得とは、空の箱に何か新しいものを投入するようなことではない。

記憶と呼ばれるこの箱にはすでに様々な要素がいっぱいに詰まっている。

何らかの論理に従って整理されたそれらの要素群の中に、さらに新しいものを追加するような状況を想像してみよう。

そのままでは余分の空間がないから、既存の要素を並べ替えたり、場合によっては一部の知識を放棄しなければ、新しい要素は箱に詰め込めない。

子供の頃から我々はおびただしい量の情報を摂取、重要してきた。

ところで赤ん坊は無知な状態でこの世に生まれてくる。

しかし無知のために外部情報の授業が妨げられるわけではない。

それどころか反対に、彼らは驚くべき速度で新しい情報を咀嚼、消化していく。

それは、年を取るにしたがって構造化される記憶がまだ嬰児に備わっていないからだ。

外国語は幼少の頃に学ばなければ、後にどんなに努力しても発音や文法の誤りを強制できないが、それは、母語を習得するにつれ、固有の言語構造ができ上がり、他の言語の世界を受け付けなくなるからである。

知識の欠如が問題なのではなくて、その反対に知識の過剰が創造活動の邪魔をしている。
有益だからといって新しい情報が常にすんなりと受け入れられるわけではない。

したがって創造的思考のためには、常識的見方とは違った角度から材料を見直す必要がある。

具体と抽象

評論の読み取り方は具体と抽象に分けることにつきます。

解答は抽象からしか取り出せません。

具体はあくまでも、筆者の論点をよりはやく理解してもらうためのシグナルなのです。

ここでは「レンズの色が淡い」などという表現で「メガネ」が何度も出てきます。

この表現を抽象化すると何でしょうか。

難しくいえば、世界観です。

自分が外界をどのように認識するのか。

そのための尺度は何か。

それが「メガネ」の抽象化概念なのです。

そのどこが問題なのでしょうか。

素早く読み取らなくてはいけません。

筆者が述べているのは「創造的思考のためには、常識的見方とは違った角度から材料を見直す必要がある」ということなのです。

そのためにはつねに「矛盾を大切にする」姿勢がなくてはなりません。

自分の持つ結論の方向へ、無理に捻じ曲げようとする態度は許されないのです。

さらにいえば、「柔らかな思考力」とでもいえるでしょう。

常識をつねに見直せるだけの資質が必要になります。

そのことを筆者の文章から読み取り、展開してください。

常識が邪魔をする

最後の部分に子供の語学習得の段階が示されていますね。

母語を習得するにつれ、固有の言語構造ができ上がり、他の言語の世界を受け付けなくなるという事実は怖ろしいことです。

自分の周囲にいつの間にか、言語のバリアができてしまう。

そのためにあれほど吸収していた言葉を受け付けなくなっていくという事実があります。

もちろん、言葉だけではありません。

常識が邪魔をして、新しい現実を受け入れようとしないということもあります。

これは子供だけではありません。

むしろ大人の方が重症なのではないでしょうか。

バリアを張り巡らせて、外界との接触を拒むという現実もあります。

論点を広げるに際して、あなたの経験を書きこんでください。

geralt / Pixabay

常識を広げて、眼の前の現実を受け入れようとしなかった記憶はありませんか。

異文化理解などの場では、たくさんの報告があります。

食事のマナーにしても、考え方にしても、どうも馴染めなかったという経験です。

その時どうしましたか。

接触して、矛盾に遭遇した時の自らの柔らかさをどう担保したのか。

そこが描けていると、かなり評価の高い文章になります。

ただそんなこともあったという体験談だけではダメです。

どう乗り越えたのか。

その論点が失敗も含めて描き出せれば、いい解答になります。

内容的には誰にも経験のあることだけに、どう調理し答案にまとめられたかがポイントでしょう。

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必ず自分で原稿用紙を埋めてみることが大切です。

声を出して読み、先生に添削してもらってください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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