能は歌詠み
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は一冊の本についての話をします。
『古今著聞集」は、鎌倉時代13世紀前半に橘成季(なりすえ)によって編纂された世俗説話集です。

一般に『著聞集』ともいいます。
事実に基づいた古今の説話を集成することで、懐古的な思想を今に伝えようとしている本です。
20巻30篇726話からなり、『今昔物語集』に次ぐ長大な説話集です。
『宇治拾遺物語』とともに日本三大説話集と呼ばれています。
この話は「能は歌詠み」と名簿に書いた侍が、そのために左大臣の前で歌を詠むことになった時の様子を書いたものです。
危い読み出しから意外な展開をし、称賛へと進んでいく構成です。
紀友則の歌との比較もあり、歌論的な面も併せ持っています。
掛詞や縁語などを使った和歌の醍醐味を知ることもできます。
本文
花園の左大臣の家に、初めて参りたりける侍の、名簿のはしがきに、と書きたりけり。
大臣、秋のはじめに、南殿に出でて、はたおりの鳴くを愛しておはしましけるに、暮れければ、
「下格子に、人参れ。」と仰せられけるに、「蔵人の五位たがひて、人も候はぬ。」と申して、この侍参りたるに、
「ただ、さらば、汝下ろせ。」と仰せられければ、参りたるに、「汝は歌詠みな。」とありければ、かしこまりて御格子下ろしさして候ふに、

「このはたおりをば聞くや。一首仕うまつれ。」と仰せられければ、「青柳の」と、初めの句を申し出だしたるを、
候ひける女房たち、折にあはずと思いたりげにて笑ひ出だしたりければ、「物を聞き果てずして笑ふやうやある。」と仰せられて、「とく仕うまつれ。」とありければ、
青柳のみどりの糸をくりおきて夏へて秋ははたおりぞ鳴く
と詠みたりければ、大臣感じ給ひて、萩織りたる御直垂を押し出だして賜はせけり。
寛平の歌合せに、「初雁」を、友則、
春霞かすみていにしかりがねは今ぞ鳴くなる秋霧のうへに
と詠める、
左方にてありけるに、五文字を詠みたりける時、右方の人、声々に笑ひけり。
さて次の句に、「かすみていにし」と言ひけるにこそ、音もせずなりにけれ。
同じことにや。
現代語訳
花園の左大臣の家に、初めて参上した侍が、名簿の端書に、「得意なことは歌を詠むことです。」と書きました。
大臣が、秋のはじめに、南殿に出て、きりぎりすの鳴く声を愛でていらっしゃったときに、日が暮れたので「格子を下ろしに、誰か参上せよ。」と命じられたところ、
「蔵人の五位がいつもと違っていないので、誰も控えておりません。」と申し上げて、この侍が参上したところ、
大臣が「かまわないから、それならば、お前が下ろせ」と命じられたので、その侍が御格子を下ろし申し上げていると大臣が「お前は歌詠みであったな」
とおっしゃられたので、侍は恐縮して御格子を下ろす手をとめて控えていると大臣が「このきりぎりすの音が聞こえているか。この虫の音を題材に一首詠み申し上げよ。」
とおっしゃられたので、侍は「青柳の」と最初の句を詠み申し上げたところ、その場に控えていた女房たちは、季節に合わないと思っているようで笑い出したので、
大臣は「物事を終わりまで聞かずに笑うことがあるか、いや、あってはならない。」とおっしゃって、「早く詠み申し上げよ。」と命じられたので、
青柳の緑色の糸をたぐっていた夏を経て秋になったので、たぐっておいた糸を使って機織り(はたおり)で布を織ろうとしたのですが、はたおり(きりぎりす)が鳴いているではありませんか

と詠んだので、大臣は感心なさって、荻が織ってある直垂を、しまってあった御簾から押し出して、褒美として侍にお与えになりました。
また寛平の歌合せのときに、「初雁」を題材にした歌を詠むときに、友則が春霞よ、その霞の中に飛んでいってしまった雁は、今は秋の霧の上で鳴いている
と初めの句を詠むと、友則は左方にいたのですが、最初の五文字を詠み上げた時に、右方の人が、声々に笑いました。
そこで友則は次の句に、「かすみていにし」と言ったときには、感心のあまり、誰の声もしなくなってしまいました。
この侍の歌詠みの話は、この友則の話と同類なのでしょうか。
話のポイント
最初に大切なのは「侍」というのは当時どのような人と思われていたのかという点です。
一般には宮中の警護をするだけで、無教養で風流も解さない人たちと考えられていたのです。
「和歌が得意です」と、自己申告したことの意味がこれで理解できるのではないでしょうか。
左大臣家の人々は、おそらく意外だったはずです。
侍は身分が低いので、普段は左大臣に直接言葉をかけてもらうということはあり得ません。
その日はたまたま左大臣の前に参上したので、大臣は、それでは「和歌が得意」なのは本当かどうか試してやろうと思って、「はたおり(きりぎりす)で歌を詠め」と言ったのです。
大臣も周囲の女房たちも、最初から少し馬鹿にした態度だった様子が見て取れます。
ところが、その侍は「あおやぎの」と突然春の風景を詠み出しました。
秋にもかかわらず、季節感のないことはおびただしいですね。
女房たちは当然のようにすぐ笑いあいます。
しかし、大臣は「全部聞かずに笑ったりするな」と、女房たちを叱って、続けさせました。
すると披露された歌は縁語も掛詞もみごとに詠みこんだ、技巧に富んだものだったので、大臣はたいそう感心したのです。
さらに補足として宇多天皇の時代の歌合で、「初雁」という題で、紀友則が、春霞のかすんでいるときに、去ってしまった雁が、今再び飛来して鳴いている、秋霧の上にと詠んだことがありました。
友則は左方でしたが、「春霞」の五文字を詠み出した時、右方の人々は、初雁は秋のものなのに、春霞とは、とあきれて声々に笑いあったのです。
しかし次の句で、「かすみていにし」と言ったときには、そこにいた女房達が静まりかえってしまいます。

これが友則の出世のきっかけになったといわれています。
この歌は『古今和歌集』秋上では「題しらずよみ人しらず」とされているのです。
和歌は上の句だけで判断するものではなく、下の句まで聞いてから判断するべきだというのが、この文章の論点です。
紀友則
ちなみに紀友則の歌にはどのようなものがあるのでしょうか。
最も有名なのは次の一首です。
久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花のちるらむ(古今和歌集)
この歌は国語の教科書に広く採用されており、百人一首の中で最も有名な歌の一つですね。
誰でも一度は聞いたことがあると思います。
外界は穏やか春の一日なのに、なぜか心が落ち着かない様子をあらわしています。
桜が散っていく様子が目にみえますね。
紀友則は40歳過ぎまで無官でしたが、和歌には巧みで多くの歌合に出詠しています。
三十六歌仙の一人です。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
