「採点方法」国によって試験の評価方法はこれだけ違う「影響の大きさ」

学び

テストの評価

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はちょっと試験の話をさせてください。

どれほど今までにテストを受けてきたことでしょうか。

数え切れませんよね。

しかし満点はいつも100点が相場でした。

成績の付け方も5段階式が多かったです。

高校ではテストの点数がそのまま通知表に載っていたりして、そんなものかと思っていました。

大学の時はABCだったり、優良可のケースもありました。

いずれにしても上から下まで、いろいろな点数や表示があったことは間違いないのです。

しかしその後、仕事の関係で、いろいろな国の成績レポートを見なければならなくなりました。

それを日本の5段階式に換算するのです。

これはかなり大変な作業でした。

特にヨーロッパの現地校は1つの科目について、担当者が長いレポートを書きます。

それが通知表なのです。

1人の生徒が習った先生ごとにレポートを書くので、かなりの分量でした。

5段階にするのは至難でしたね。

反対に薄い紙が1枚だけの国もありました。

通知表などというものはなく、その紙が全てだったようです。

日本では学籍簿の保管期間が決まっていて、10年も20年も保存しておくようですが、原簿と呼べるものはないという国もありました。

今回、たまたまいくつもの国で暮らしてきた人の文章を読む機会がありました。

そこで成績の付け方についての違いを知ったのです。

あたりまえのことがあたりまえでないという、新鮮な驚きでした。

これは推薦入試の小論文の問題として示されたものです。

学校のテスト

100点をとると、とてもうれしい。

それは、万国共通の気持ち。

日本の子どもが「100点」をとって喜ぶように、ロシアの子どもは「5」をとって喜び、アメリカの子どもは「A+」をとって喜ぶ。

数字だったり文字だったりするが、すべてに共通することは最高得点であること。

でも、同じ「最高得点」でも「最高得点」をたくさん与える主義と、なるべく与えない主義というのが国によってあるようだ。

フランスの学校に転校して、そう感じた。

いくらとてもよくできたテストでも、16/20以上はなかなかとれない。

特に作文のような正解がない問題が多く出題されるフランス語などの授業になればなるほど、この傾向は見られた。

ある日、先生に聞いてみた。

すると、「満点はパーフェクトを意味するけど、パーフェクトとはよっぽどのことがない限り起きない状態だ。

そう簡単に毎日や週一で出合えるものではない。

人生で何度かしか起きないようなことだ」と。

なるほど。確かに、私の解答はいい解答だったかもしれないが、パーフェクトかと言われたら、涙が出るほどの感動はない。

わたしは、納得した。

でも、そこから先生が感動するほどの解答とは何か、いつか出してみたいと思うようになった。

そういう意味で、フランスでは子どもも大人と同じように接せられる傾向にある。

理由を説明して、人生はそう簡単に素晴らしいことは起きないし、努力が必要だと教えてくれる。

でも逆に8割できていれば素晴らしいとも教えてくれる。

その逆を感じたのは、アメリカだった。

とにかく褒められる。

半分くらいしか分からなくても、いいところを見つけては先生が褒めてくる。

「よく頑張ったね!」とかわいいシールがノートに貼られる。

そして、全部できるまで、つまりそれが満点なのだが、何度でも取り組むことができる。

「わたしでも満点がとれる!」というのが自信につながり、子どもは頑張るようになるという仕組みだ。

でも、「それくらいでいいんだあ」という子どもも出てくる。

そのために、アドバンスドクラスや飛び級が存在するのかもしれない。

「褒める」方式の逆をとっているのは、ロシア。

いい点をとるのも重要だが、それよりみんな悪い点をとるのを恐れている。

5段階しかない評価システムで、「1」は基本つくことがない。

つまり、「2」が最低得点。

アメリカでいうところの「F」だ。

カタチが、白鳥に似ていることから、「また白鳥があなたのところへ泳いできたの」
と母親に怒られることがしばしば。

さらに、2ばかりとる人を示す言葉もあり、これだけは呼ばれたくないから「2だけはとりたくないなあ」と思うようになり、最低限は勉強するようになるというわけだ。

通知表はただの数字や文字の羅列なのか。

でも、褒めて育てるのか、厳しさをもって育てるのかでかなり違う。

「満点」という概念を設けるのか設けないのか。

実は、これがすべて学びへの姿勢に影響を与えている。

設問

この文章は、6カ国で学校教育を受けた経験のある、ロシア出身のキリーロバ・ナージャさんが、それぞれの国の教育の違いについて述べたものです。

各国の学校の採点システムの違いを読んだうえで、学校で子どもたちの学習を評価する場合、あなたはどのような方法がよいと考えますか。

800字以内で述べなさい。

これが問題なのです。

採点システムがこのようにそれぞれの国で違うということだけでも興味深いですね。

しかしそれが設問として提出された時、どのように答えればいいのでしょうか。

確かに評価を柔軟に変えていくことで、どんどん子どもたちのやる気を引き出していけるかもしれません。

学習評価法という学問の分野があるくらいです。

大きくいえば、人間観の違いでしょう。

日本はどの国のスタンスに近いのでしょうか。

よく「褒めて育てろ」というような言葉を耳にします。

あなたはどの立場で、この問いに答えますか。

採点システム

ぼく自身、採点システムの違いについて深く考えたことがありませんでした。

表計算ソフトが登場して以来、テストの成績が瞬時に上から並んでしまいます。

これはある意味単純でとても便利です。

しかしそれだけでは不十分だという声が強くなったのでしょう。

近年、日本の学校では観点別評価という考え方が導入されています。

いくつもの観点ごとにABCなどをつけて、最後に点数化し、評価をつけるのです。

パラメーターが増えるにつれて、どんどん複雑化しています。

「知識、技能」「思考、判断、表現」「主体的な学習態度」などです。

試験の点数だけではありません。

ぼくも一度だけ中学校で講師をした時に観点別の評価をしました。

試験の点数をエクセルで並べていた時とは全く違い、すごく難しかったです。

ここにはアメリカ、フランス、ロシアの例が出てきますね。

フランスでは満点をつけないとか。

100点とは人生で稀な完璧な状態と定義され、厳格な評価を通じて現実の厳しさを教えるそうです。

アメリカでは加点方式で自信を育むことに重点を置いています。

一方、ロシアでは最低評価を避けるという恐怖心が前面に取り上げられています。

採点方法は単なる記録ではなく、子どものやる気を引き出すための重要な戦略なのかもしれません。

個人的には厳格さと現実を教えるフランス流にも魅力を感じます。

簡単に満点が取れないからこそ、子供は「いつか先生が感動するほどの解答を出してみたい」という高い目標への挑戦心を抱くようになるのかもしれません。

しかし今の生徒たちに、それだけの我慢強さがあるのかどうか。

この話は社会の構造と密接につながっていると考えざるを得ません。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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