歴史学
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は歴史学者、網野善彦氏の『日本の歴史をよみなおす』という本に所収されているトピックスを取り上げてみたいと思います。
氏は農耕民の定住社会という旧来の日本史像を見直し、日本中世史研究に大きな影響を与えた研究者です。
人間はそれまで当たり前だと思っていたことが、否定される時、すぐに納得するということはほとんどありませんね。
疑問を重ね、やがて全く別の考えにたどり着くこともありうることです。
あるいは最初から信じた内容に固執することもあります。
特に、社会科学や人文科学は自然科学と違って、何度同じことをやっても必ず同じ結論に達するという学問とは違います。
ある角度から見たときに、はじめて理解できるという要素が強いのです。
学説と呼んでもいい類いのものかもしれません。
1つの行動をみても、それがどのような考え方から捉えた事象であるかによって、結論は変化するのです。
その典型な形が戦争でしょうね。
それぞれの立場によって全く正義が異なります。
その結果、人は武器を持って戦い始めるのです。
今日のように核戦争まで可能な時代になると、人類が滅亡してしまう可能性があります。
本来、何が正義なのかも実は判然としません。
網野氏の研究分野である歴史学は、自然科学とは違い、入念な調査を重ねていきます。
その発見を世に発表しても、すぐに受け入れられるのか、確かな保証もないのです。
それだけにデータは正確でなければなりません。
しかしいくら多くの情報を流したとしても、その結果は予期したものと全く違うケースが多いのです。
先入観
考えてみれば人間は先入観のかたまりなのかもしれません。
生まれた時、人は偏見と呼ばれる考えを持ってはいないはずです。
しかしそれが長い人生の中で、多くの経験によって変化していくのです。
ゆがめられていくといってもいいかもしれません。
人間観、国家観から出身地域、学歴、門地、財産など、あらゆるものがその対象になります。
幼児の目は非常にきれいです。
なんの偏見もありません。
見たものが全てなのです。
しかし年齢を重ねていくにつれ、素直に事実を見ることができなくなります。
それまでに培った価値観が、事実を不明瞭なものにしてしまうのでしょうか。
新しい発見をしても、それがすぐに真理として認識されるということにはならないようです。
特に科学の世界では、そうした事実が多かったです。
万有引力にせよ、地動説にせよ、それが普遍の認識になるまでには、非常に長い時間がかかりました。
ここでは社会科学の一例として、歴史を考えます。
なかでも水吞百姓という言葉と、その内容について考察したいのです。
歴史の研究者たちは江戸時代初期、輪島で大きな廻船交易をしていた商人が、「水吞百姓」だったという事実をつきとめました。
その中心にいた学者が網野善彦氏です。
通常、「水吞百姓」という表現は年貢が賦課される田畑を持たない貧しい農民、小作人をさします。
しかしこの廻船人は巨額な金を時の藩に貸し付けるだけの資力をもっていました。
「柴草屋」という屋号で呼ばれていたこの商人は、貧しい農民ではなく、土地を持つ必要のない人だったのです。
水呑百姓
このような事例がたくさん発見され、水吞百姓という言葉の意味は単純に割り切れないということが判明しました。
問題はその事実をどのように公表するかです。
かなり大きな船で日本海の各地の港町で取引をし、松前までいく廻船交易をしていたことが判明したのです。
この事実はそれまで水吞百姓という言葉が持っていた意味を、ほとんど塗り替えました。
他にもさまざまな文書が発見されたのです。
その際、新聞記者とのやりとりがどのようであったのかを示す記述があります。
興味深いので、ここに掲載しましょう。
新聞記事
たまたまその夏に、新聞記者が4、5人やってきました。
そこで各社の記者が集まってきてくれたところで私がこの文書を紹介したわけです。
ところが最初に記者たちからなぜ百姓が松前まで行くようなことになったのですかという質問が出ました。
「百姓」つまり農民が松前に行ったのはなぜかという質問なのです。
これに対し、私は、この「百姓」は農民ではなく、文書にも書いてあるとおり船商売をやっている廻船人なのです、と説明したのですが、記者たちはなかなか納得しない。
ではどうし船商売の人を百姓と表現するのかという疑問などがでてきて、私は2時間近い時間をかけて説明することになりました。(中略)
それはともあれ、おもしろい記事がでるだろうと、翌朝、楽しみにしていた新聞を見ましたら、なんと見出しには「農民も船商売に進出」と書いてあるのです。
2時間の悪戦苦闘、何回かの電話はほとんど徒労に終わってしまいました。(中略)
他の新聞は「能登のお百姓、日本海で活躍」あるいは「江戸時代の奥能登の農家、海運業にも関与」とう見出しでした。
百姓イコール農民という思い込みがいかに根強いかということを、われわれは骨身にしみて実感しました。(中略)
輪島の71%の水吞の中には、漆器職人、素麺職人、さらにそれらの販売にたずさわる大商人、あるいは北前船を持つ廻船人などがたくさんいたことは間違いないところですし、百姓の中にも、輪島の有力な商人がいたことも明らかなのです。
先ほどもふれましたように、輪島の水吞の中には、土地を持てない人ではなくて、土地を持つ必要のない人がたくさんいたことは明白といってよいのです。
とすると、百姓を農民、水吞を貧農と思い込んだために、われわれはこれまで深刻な誤りをおかしてきたことになります。
事実が示すもの
この文章はいろいろなことを考えさせます。
新聞記者たちに2時間説明してもなお、水呑百姓の実態を伝えることができなかったのです。
彼らにとって、この言葉は田畑を持たない小作人のイメージのみでした。
70%もの人たちが、田畑を持つ必要がなく、それでも水呑百姓と呼ばれていたという事実は重いものです。
だからこそ、記事のタイトルも全く真実とは違うものになってしまいました。
その時、多くの歴史学者は愕然としたのです。
ここまで人間の固定観念というのは覆せないものなのか。
知的な階層に属する彼らでさえ、1度脳裡に潜ませてしまった現実はそう簡単には変更できないのです。
ましてや、一般の人たちはなお、その傾向が強いのではないでしょうか。
固定観念のいきつくところは、人種差別であり、男女格差などです。
世界がそれほど簡単に変革できるなどとは思っていません。
しかし頑固なまでの岩盤を崩すのは容易なことではありません。
そのことをこの文章から感じてもらえれば、ここで取り上げた意味があると思われます。
あなた自身の中にある、固定観念の層をもう1度検証してみてください。
その作業が、今、最も大切なことなのかもしれないのです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。