【ネガティブ・ケイパビリティ】答えの出ない事態に耐える能力とは何か

学び

答えの出ない問題

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は少しだけ、世の中のことを考えてみましょう。

人生の大半の問題は解決がつかないというのが、嘘偽りのない実感です。

この考えはコロナパンデミックを経て、なお一層強いものになりました。

何を信じたらいいのか。

ロシアのウクライナ侵攻もその1つです。

世界は混沌としています。

詳しいことは、2024年度小論文入試予想の中に書いた通りです。

リンクを貼っておきます。

後で読んでみてください。

入試によく出題されるテーマはここ数年ずっと共通しています。

SDGsに代表される飢餓、貧困、気象変動、エネルギー問題などです。

そこへ突然出現したのが生成AIでした。

ぼく自身、ChatGPTについての記事はいくつか書きましたが、状況は今も刻々と変化しています。

新しい情報を次々と加えて、精度が増しているのです。

しばらくすれば、どれがオリジナルで、どれがAIの生成したものかも区別ができなくなるかもしれません。

新たな創造物の可能性もあります。

著作権などと呟いている場合ではなくなる可能性も出てきました。

解説書の氾濫

当然のことながら、解説書が巷にあふれ出したのです。

「わかった」つもりの内容が声高に語られています。

新聞や雑誌にチャットGPTの話題が載らない日はありません。

東京都教育委員会は慌てて、夏休みの宿題などにチャットGPTを使って書いたものを認めないという趣旨の声明を発表しました。

大学などの対応も、報道されている通りなのです。

つい数か月前には考えられなかった行動といえます。

今後、生成AIはどの程度の能力を獲得するのか。

それもよくわかってはいないのに、この慌てぶりは何なのでしょう。

今も根本のところは混沌としていて、ラビリンスに近いといってもいいのです。

ここで1度落ち着いて、自分の将来を考えてみる必要がありそうです。

これからぼくたちはどのように生きていったらいいのか。

誰でもが考えざるを得ない世の中になりました。

文化の異なった人々が同時に乗った宇宙船地球号は、どこへ向かって進んでいるのか。

それは誰にもわからないのです。

そうした状況の中、ネガティブ・ケイパビリティという言葉が存在したのを知りました。

精神科医で作家の帚木蓬生氏が使った表現です。

「negative capability」とは何を意味する言葉なのか。

直訳すれば「負の能力」です。

どうやっても答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力とでも言ったらいいのかもしれません。

もっと言えば、性急に証明や理由を求めない態度です。

不確実さや不思議さの中でも、じっとしていられる能力のことです。

もう少し考えてみましょう。

あまり気分のいい話ではありません。

誰でも今は気分が上々ではないのです。

それでも、その状態に耐えられるのかということが、この表現の根本にはあります。

本文

目の前に、わけのわからないもの、不可思議なもの、嫌なものが放置されていると、脳は落ち着かず、及び腰になります。

そうした困惑状態を回避しようとして、脳は当面している事象に、とりあえず意味づけをし、何とか「わかろう」とします。

世の中でノウハウもの、ハウツーものが歓迎されるのは、そのためです。

「わかる」ための究極の形がマニュアル化です。

マニュアルがあれば、その場に展開する事象は「わかった」ものとして片づけられ、対処法も定まります。

ヒトの脳が悩まなくても済むように、マニュアルは考案されているといえます。

ところが、ここには大きな落とし穴があります。

わかったつもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、より高い次元まで発展しないのです。

まして理解が誤っていれば、悲劇はさらに深刻になります。

私たちは「能力」といえば、才能や才覚、物事の処理能力を想像します。

学校教育や職業教育が不断に追求し、目的としているのもこの能力です。

問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。

ネガティブ・ケイパビリティはその裏返しの能力です。

論理を離れた、どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力です。

キーツはシェイクスピア にこの能力が備わっていたと言いました。

確かにそうでしょう。

ネガティブ・ケイパビリティがあったからこそ、オセロで嫉妬の、マクベスで野心の、リア王で忘恩の、そしてハムレットで自己嫌悪の、それぞれ深い情念の炎を描き出せたのです。

私たちが、いつも念頭において、必死で求めているのは、言うなればポジティブ・ケイパビリティです。

しかしこの能力では、えてして表層の「問題」のみを捉えて、深層にある本当の問題は浮上せず、取り逃してしまいます。

いえ、その問題の解決法や処理法がないような状況に立ち至ると、逃げ出すしかありません。

それどころか、そうした状況には始めから近づかないでしょう。

なるほど私たちにとって、わけのわからないことや、手の下しようがない状況は、不快です。

早々に回答を捻り出すか、幕を下ろしたくなります。

しかし私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちています。

むしろその方が、わかりやすかったり処理しやすい事象よりも多いのではないでしょうか。

だからこそ、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくるのです。

私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医という職業生活も、作家としての創作活動も、ずいぶん 楽になりました。

いわば、ふんばる力がついたのです。

それほど、この能力は底力を持っています

新時代への覚悟

今は答えのない問いと向き合う時代なのかもしれません。

日本人は戦後ずっとアメリカの背中をみて暮らしてきました。

追いつき追い越せの掛け声とともに生きてきたのです。

難しいことは他の国に任せ、とにかく答えをはやく覚え、瞬時に引き出せる人間を育ててきました。

しかしそういう時代は確実に終わったのです。

腰をすえて、解決しそうもない問題と正対する。

その覚悟を持った人間でなければ、これからの時代は生きていけないでしょう。

苦しく長い坂を踏ん張って、我慢してのぼるしかありません。

しかしシジフォスの神話にみられるように、山上に重い荷物を持ち上げたと思った次の瞬間、それは転げ落ちてしまうかもしれないのです。

その繰り返しに耐えられるのか。

我慢することができる能力、すなわちネガティブ・ケイパビリティを持った人しか、これから後の時代には生きられないということなのです。

厳しいと呟くのは簡単です。

leovalente / Pixabay

しかし人は生きなくてはなりません。

答えはどこにもないのです。

自分で探す以外に方法はありません。

大変な時代になりました。

覚悟ならないこともないと、口にできる人間は強いです。

そうでない人はその能力を育てあげていくしかないでしょう。

厳しいようですが、これが現在のまぎれもない現実だということです。

もう1度、この言葉の意味を噛みしめてみてください。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【2025年度小論予想】生成AI・SDGs・戦争・気候変動・ジェンダーが命
2024年度入試小論文のテーマをさぐってみましょう。最初に思い浮かぶのはアフターコロナの時代をどう生きるかということです。戦争も終わりません。民主主義の危険性もあります。さらにAIの未来も気になります。SDGsも忘れてはいけません。
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